同性愛と人類の進化⑷
そもそも、雄という生き物は、種をまいて、子孫を残す。
雌は優秀な遺伝子を持つ雄を選び、子供を産み子孫を残す。
結局、優秀な遺伝子を持つ雄以外は、交尾をする機会に恵まれないまま、一生を終えることもある。
雌というのは、どんな雌でもだいたい交尾の機会があるものである。
そして、その優秀な遺伝子というものは、そのときの自然環境や状況によって変化するものであろう。
そして、どんな環境、状況でも、子孫が生き残れるように、雄は多様性があるのだろう。
人間を見ても、男は、勉強の出来も、運動の出来も、性格も、幅が広い。
男は、多様性がある理由があるのだ。
そして、雌に興味のない雄というのも存在し、そういう雄は、人間でいえは、その男は子孫を残すのではない、働き蜂のような種の繁栄の為の大切な役割があるように思う。
人類は、そうやって人類の繁栄、進化のために多様な男がおり、女に選ばれない男も人類の繁栄に貢献している。
男というのは、人類の文明の発展や科学技術の進歩に大きく貢献している。
特に文明の発展は、男の得意分野であろう。
探究心、物作りの精神、無鉄砲さ、一つのことにとことんこだわり、追求すること。
つまり、オタクな男、言い換えれば、頭脳がいい男(科学技術の発展や文明の進歩に貢献するような)が女との交尾ではなく、研究の方に熱心なのは、人類の繁栄のためなのだろうか。
もちろん、女への性欲が盛んで、女に興味のある男が大多数ではある。
しかし、研究では、男は同性愛的傾向を半数くらいの男が持ち合わせているらしいとも言われている。
それが、潜在的にあっても、一生現れない人の方が多いだろう。
しかし、男しかいない環境や女に恵まれない環境、もしくは現代のように豊かで一見争いの少ないような環境でも、同性愛は増えるのではないなと考える。
同性愛と人類の進化⑶
同性愛といえば、
もう一つ忘れられないエピソードがある。
それは、家で飼っていた猫の話だ。
家では一時期、猫を5匹くらい飼っていた。
その当時、雌猫が1匹、雄猫が4匹だった。
1匹とても喧嘩の強い雄猫がおり、その猫が家の縄張り、猫たちを支配していた。
たった1匹の雌猫は、発情期になると他の雄猫たちに追いかけ回される。(そのとき、避妊手術をさせていなかったので。)
雄同士で喧嘩の争いになり、喧嘩に勝ち、交尾できるのは、喧嘩に1番強い雄猫だった。
残りのあぶれた雌猫と交尾できない雄猫はどうするか?
そのとき飼っていた、茶トラの甘えん坊の雄猫と、これまた甘えん坊の白と黒のブチの雄猫が、重なりあって、イチャイチャするのだ。
仰向けになった雄猫の上にもう1匹の雄猫が乗る。
そして、時に、頭の位置を真逆にして、お互いの胸の辺りをチューチューと音を立てて、吸ったりするのだ。
これには、かなり驚いた。
この雄猫2匹は、しばらく何日もくっつき合って、乗っかりあっていた。
なぜかよく階段でくっつき合っていた。
人目につかないようにだろうか…。
雄同士ということもあって、なかなかに異様な感じがした。
そのときに思った。
雌猫から選ばれなかった(正しくは、雌猫は選んでいるというより強い雄に襲われている感じだが…)あぶれた雄は、寂しさや性欲をあぶれた雄同士で慰め合うものなのかと。
人間はだいたいの国が一夫一婦制だか、ライオンなどは、強い雄がたくさんの雌を引き連れハーレムを組む。
哺乳類では、猿も強い雄が支配し、弱い雄はなかなかチャンスが巡ってこない。
もちろん、強い雄の隙を見て、交尾をするときもあるが。
哺乳類や魚類、他の生き物の世界で、同性愛はよくある種ではよくことである。
同性愛と人類の進化⑵
自分が同性愛について知ったきっかけがいくつかある。
同性愛について、だいぶ前の話だが、
大学の文学の授業で習ったことがあった。
その授業は、『古事記』を題材にした授業だった。
『古事記』の中に、
男性と男性が性的な肉体関係を結んでいる記述があった。
『古事記』(奈良時代、712年頃)というかなり古い文献から同性愛の記述があるということは、同性愛とは、そんな昔から存在したのだということに驚いた。
その授業では、他に『今昔物語』、『宇治拾遺物語』でも、男色(同性愛)の記述があることを学んだ。
日本という国は、実は昔から男色と呼ばれる同性愛が一般的に存在し、寛容な国であったことがいろいろな書物から伺える。
男色は、お坊さんの中では特に多い記述があり、その後は武士の中でも衆道がとても多かった。
最近、テレビなどで、同性愛やゲイをカミングアウトして、一般的に受け入れられてきているが、歴史的に見れば、日本という国は、昔から男色が認知されており、寛容であったのだろう。
同性愛と人類の進化⑴
LGBTが増えているように思う。
同性愛、特に男性として生まれ、男性を好きなるゲイが特に増えているように感じる。
(ここでは、一般的に世間で使われるゲイという言葉を使う。)
近年、テレビでも、たくさんのLGBTのタレントが活躍している。
マツコデラックスやIKKO、ミッツマングローブ、その他にも、たくさんカミングアウトしてテレビに出演している芸能人がいる。
もともと、ファッション業界のデザイナーや、メイクアップアーティスト、芸術家などは、同性愛の男性が多い。
明石家さんまの東大生が出ている番組でも、ゲイだろうかと思われる若者がいた。
同性愛者は、芸術家や頭の良い人に多いイメージだ。
芸術家のように、自分の感性や感覚、価値観を大切に生きる人、
頭が良く、自分というものを深く見つめ、思考する人、既存の価値観、常識をそのまま受け止めず、一度、自分の中で検証してから、受け止める人に多いのだろう。
もちろん、性同一性障害のように、
生まれつき脳が女性として産まれた男性は、育つ過程で男性であることに違和感を感じ、男性として生きることを強要されても、
男性にはなれないだろう。
しかし、男性として産まれ、男性として生きて、男性を好きになることも世間の表面化しているゲイの割合よりもだいぶ多いだろう。
長くなったので、
続きはまた。
今ここに感謝
イライラしたり、やる気がでなかったり、気持ちが上がらない日々が続いている。
今日も、動く気すら起きない。
そんな日でも生きてることに、感謝しよう。
1日の終わりに感謝の気持ちで締めくくろう。
徒然日記
日々、
生きていて、
思うこと、
感じること、
気ままに記していきます。
その思いたちが、
切り取った記憶の断片が
残って、
何かの色や形や、絵のように、
残せたらいいなと思います。